境内案内

福山八幡宮は備後福山総鎮守として、天和3年に御鎮座されました。
現在も、境内にはお宮参り・安産祈願・車のお祓いをはじめ、秋には七五三、年明けには多くの会社のお参りが絶えず、また市民にとっては緑豊かな憩いの場ともなっています。

御社殿

4代藩主水野勝種公により、家老上田四郎左衛門が執行役、新庄市太左衛門を惣奉行、鈴置茂左衛門・鎌田與七左衛門・本庄三木左衛門に普請奉行、坂田弥左衛門に作事奉行を命じ、天和3年(1683)松廼尾山の東西に備福山総鎮守の社として竣功、従2位行大納言観修寺経慶・従5位下観修寺尹隆より幣帛が奉られ、ご鎮座奉祝の祭礼が盛大に行われたとの記録が残ります。
並立する東西の本殿、幣殿、拝殿、随神門、鳥居、惣門などの各社殿は、同一様式、同一規模によって建てられ、同じ八幡大神様をお祀りする大変珍しい構成をしており、また、意匠が大いに優れ往時の姿がほぼ完存する事から江戸期を代表する貴重な文化財として注目されています。

本殿

正面両脇間に禅宗様の華頭窓を、また両側面には四隅を落とした角窓を設け、正面に千鳥破風を付けた方三間の入母屋造りと呼ばれる形式のお社です。
内部は、内々陣、内陣、外陣に分かれ、蟇股には水野家の家紋である「丸に 抱き沢瀉」を始め、梅、桃、紅葉、朝顔などの彫刻が極彩色に施されており、土佐派の絵師が描き冷泉大納言の書になる三十六歌仙額が掲げられています。

幣殿

唐破風造りを用い、本殿の丸柱に対し角柱で、内部には紅梁が二重に架けられ、輪垂木の化粧屋根を見せ、組物などには極彩色が施されています。

拝殿

柱には角柱が用いられ、向拝中央の蟇股には極彩色による唐獅子の装飾が施されています。
昭和59年、本瓦葺きであったものを銅板葺きにあらためられました。

随神門

全体に朱漆塗りが施され創建時には朱門と呼ばれた切妻造りで、前方一間分と後方一間分にそれぞれ化粧屋根裏の棟を持つ東大寺や法隆寺といった古い形式に見られる三棟造りをしています。
南面東に黒の束帯姿で老相の像が、西に赤の束帯姿で若相の像が椅座し、北面に木製の狛犬が安置されています。
近年、本瓦葺きから銅板葺きにあらためられました。

鳥居

両部鳥居と呼ばれる形式で全体に朱漆塗りが施され、木造としては日本で三番目に古く、東西両鳥居に掲げられた社号額は、近衛左大臣基熈の筆によるものです。

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